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第15回 過去と未来を繋ぐタイムマシーン

 今回は信濃町キャンパス内歴史的建造物探訪第二弾をお送りする。先の戦争を経験し現存するものは、実は数えるほどしかないのをご存知だろうか。キャンパスの北東方向の出入り口となる元一門がその一つであることは、以前の記事(2020年10月号 『第五回 ヤウロードと通用門』)で紹介させていただいた。今回の記事では2つ目の歴史的建造物として北里記念医学図書館を紹介させていただく。


 北里記念医学図書館は、北里柴三郎先生が逝去された後、山本達雄会長らを中心とした北里博士記念医学図書館建設会により募集された資金を基に建設された。設計は和田順顕が手がけ昭和12年10月に竣工した。昭和19年から慶應義塾に管理および経営が委託されている。

 正面はローマ建築を思わせる大きな支柱とアーチ型の梁が出迎える。内部天井のレリーフや大理石の壁は、日本郵船横浜支社を建築した和田順顕の得意とする様式である。この正面階段は、毎年白衣式の時に学年全員が一堂に会して写真を撮影する場所でもある。

 続いて建物の内側に進む。正面には図書館へ続く扉と北里博士の胸像が位置する。残念なことに現在の図書館は、文献資料のオンライン化とコロナ禍による閲覧席の縮小にともない利用者もまばらになっている。しかしながら、以前は学生・研究者が日夜文献を検索する「知の源泉」とも呼べる場所であった。昨年の慶應医学賞受賞者の一人宮脇先生も学生時代には多くの時間をここで過ごし、自他領域を問わず論文を読み耽ったことが現在の研究成果につながったと話されている。

 図書館の左側には階段があり、その高窓にはめこまれた美しいステンドグラスを横目に北里講堂へと誘導される。しかしその美しさとは対照的に、北里記念図書館は戦禍を潜り抜けた一面ももつ。

 北里記念医学図書館は歴史的・文化的な価値を有するだけでなく、今も現役で活躍していることがさらにその意味を高めている。臨床実習へ進む学生の白衣式や自主学習の成果の発表会など、学生生活の節目の場として多くの医学部生に長きに渡り寄り添ってきた。また、慶應医学賞の授賞式や、先の東日本大震災時の際には90回生の臨時卒業式で使用されるなど、晴れやかな式典の場としても活躍している。


 医学部の歴史と発展を感じさせる森厳な時間。まさに、北里博士から始まり現代の医学・生命科学へと続くタイムマシーンのような畏敬すべき空間なのである



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