東南アジアのシュバイツァーとの出会い

ー先生の学生時代から、お話をうかがいと思います。先生が医師を目指した理由は何だったのでしょうか?

 実は、中学校3年生までは文系の進路を考えていました。ただ漠然と人の役に立ちたいと思っていて、当時は弁護士になろうかと考えていました。ところがふとしたきっかけで、医師である叔父の大親友である東南アジア諸国でボランティアとして医療活動をしている医師と、中3の夏休みに会って話す機会がありました。それまで医師は叔父のように温厚で優しい人というイメージだったけれど、その人は山男みたいな人だったんだよね。後日、その医師が東南アジアのシュバイツァーと呼ばれている人だったと知りました。その人に、「君も医療の手が届かず命を失っている人を救わないか」と言われて、がっちり握手をしたことが、僕のその後の人生に大きな影響を与えました。それまでは漠然と人の役に立ちたいと思っていたけれども、現実の人が目の前に現れた!という感覚でした。そこで、文理転換して医師を目指しました。 

ー医学部に入学されて、当時の雰囲気はどのような感じでしたか?

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中村雅也 先生

前編
慶應義塾大学医学部整形外科教室・教授

慶應義塾大学病院・臨床研究推進センター・

再生医療等推進委員会委員長

​ 当時はすごく自由でした。やりたいことはどんどんやって、やりたくないことは必要最小限に留めることが許される時代でした。濃淡がすごくあったね。

 受験は物理化学で受けたんだけど、大学の物理は面白かったね。あと中高が男子校だったから、他の学部の女子も受けている授業は新鮮だったのを覚えています。(笑)

 最も大変だったのは解剖かな。なかなかご遺体に向き合うことができず、苦労しました。ただ後になって、あの時もっとやっておけばよかったとは思いました。

 当時は2年間ずっと日吉にいて、信濃町に足を踏み入れることもありませんでした。2年生の冬にバスケットボール部の後輩がスキーの事故で脊髄損傷を受傷したこともあって、3年生で信濃町に来てやっと医療に一歩近づいたなと、マインドセットが変わったのを覚えています。

ー医学部時代は、どんな生活をされていたのですか?

 バスケ部と大学生活がメインだったね。中学・高校はテニス部だったけれどテニスはコートでは孤独なスポーツで、団体スポーツに憧れていました。あと、どうせやるなら強い部でやりたいと思っていたね。

 1年の時の東医体(東日本医科学生総合体育大会)のメンバーが凄くて。絶対優勝すると言われていたのに、ベスト8で秋田大に1点差で負けてしまって。

 その直後のミーティングでキャプテンが「みんな一生懸命応援してくれたのにこんなところで負けてごめんな」と言って嗚咽したら、全員がむせぶように泣き始めました。その時、凄いクラブに入ったなと思ったね。その後は東医体で3連覇しました。その分、すごく苦しい練習はしていました。冬合宿は2週間もあったし、それが許されるような時代でした。その苦しいことをやり抜く力は、今の僕に繋がっていると思うな。それから四谷祭の副委員長もやっていました。いま脳神経外科にいる戸田教授と派手なことをやったね。青山のビルを3フロア貸し切って、やるからにはドカンとやろうと、かなりの資金を集めて大規模に四谷祭の取り組みを行いました。

脊髄損傷は治らない、と知らなかった

ー後輩がスキーで怪我をされて、それを治すために整形外科へ進まれたと授業でも聞きました。その頃から整形外科一本で決められていたのでしょうか。

 2年生の冬にバスケ部でスキーに行った時に、一つ下の後輩が目の前で頚に怪我をしました。僕は当時脊髄損傷が治らない病気だということすら知らなかったんだよ。手術をして治ったんだと思って半年後に会ったら電動車椅子で。自分の脳天気さというか、治せないという今の医療に対する怒りに近いものがこみ上げてきました。そこから脊髄損傷をなんとか治したいという思いが常に頭にありました。

  ただもう一つの転機があって。医学部6年生の医師国家試験の1か月前に父が他界して、その原因は肝臓癌でした。当時は卒業したらすぐ入局する時代だったから、ちょうどお葬式で実家に帰っている時にどの診療科を志望するか提出しなければいけなかった。脊髄損傷をやるなら整形外科と決めていたけれども、目の前で父親が肝臓癌で亡くなったから、さすがにその時は迷ったね。一般消化器外科に行こうかとも思いました。なんで治せないんだろうと。

  最後は自分で決められず、人生における無二の親友(現:東海大学の渡辺病院長)に「お前決めてくれ、俺の代わりに用紙を学生課に出しきてくれ」って葬式の当日に伝えました。その親友は、僕が2年生からずっと整形外科と言っていたのを見ていたから、整形に出してくれました。「整形に出しといたぞ」「ありがとう、分かった」そんな状況だったね。

 紆余曲折あったけれども初志貫徹で、そこからはずっと脊髄損傷をどうやって治せるかを考えてやってきました。

ー近年では再生医療に対して基礎研究の道もあると思うのですが、なぜ整形外科医に進まれたのでしょうか?

 僕の最終的なvisionは、基礎の研究をしていても、最後は患者さんのそばにいたいということでした。当時は再生医療という概念すらなかったからね。基礎研究をして真理を追究するというのも素晴らしいことだと思うけど、僕は患者さんに還元する研究を行って、その場に立ち会っていたかったから臨床に進みました。

受け身である限りPassionに火は付かない

ー進むべき診療科に迷っているという学生は多いと思います。一生続けていけると思える診療科はどのようにしていたら出会えるのでしょうか?

 一番大事なのは、例えば卒業する時に、「学生時代に何をやっていたの?」と聞かれた時に、一つでいいから、何か胸を張って言えることがあることが重要だと思っています。文化系でも体育会系でもなんでもいいです。ただ何かに心から打ち込める強い気持ちを持っている人は、将来の進路をそんなに悩む必要はないと思います。例えば初期研修でも、どこの診療科に行くかではなくて、どこを回っていても患者さんとの出会いを大事にすること。その人に対して、自分が持てるものを全て出し尽くすように頑張れば、その患者さんが治ればすごく嬉しいし、治らなければすごく悔しい。そうするとpassionに火がついてvisonが決まり、actionに繋がります。部活と一緒で、苦しい練習をみんなでやっているからこそ、勝ったら嬉しいし、負けたら悔しい。一生懸命やった結果が肥やしになると思います。

 研修医でも一人ひとりの患者さんに対して一生懸命やっていれば、進むべき道は絶対に見えてくるはずです。患者さんや医師との出会いや、病気との葛藤を通して。それが通り一遍で表面だけをなぞっていても、passionに火は付かないと思うね。楽そうだからとか、儲かりそうだから、という理由で選んでしまうと、一生かけてやる仕事を選ぶのにそれでいいの?と思ってしまうね。passionに火がつかないと君たちの持っている本当のポテンシャルは発揮されないと思っています。

ーここから、実際に医師になってからのお話をお聞きしたいと思います。当時の初期研修はどのような生活を送られていて、日々どのようなことを考えていたのかなどありますか?

 当時は整形外科に入局して、1年目は大学病院でした。その時の過ごし方で一番大事に思っていたのは、その日一日行動する時に、目的意識をものすごく強く持つことです。漠然とやるのではなくて、今日一日はこれをやろう、今週はこれをやろう、今月はこれをやろうと常に考えていました。例えば、今でも若い先生たちに言うんだけど、手術に入るときに、筋鈎だけズーッとひかされてつまらないなと思って過ごすか、自分が術者だったらどうするかなと意識しながら過ごすかで、手術の見方も得られるものも全く違ってきます。自分の想像と違うことを術者がやったときに、「どうしてこんなことやっているんだろう」とか、今日は術野見えないなと思ったら、「今日は術者の手の動きだけ見ていよう」とか、「手術器械をどう持っているかな」とか。目的意識を強く持つということを大切にしていました。それが毎日積み重なっていくと、こうなりたいというのが明確になっていきます。

 僕は、ある先生が左手を使うのがすごく上手いなと思ったので、しばらくの間ご飯を左手で食べて左も右と同じように使えるようにしました。そうすると他の人がやりにくそうな手技も普通にできるようになります。でも、そういう風に見ていないと気づかないものです。だからこそ目的意識を持って行動するというのが大切だと思います。今月はこの病院で誰よりも一番早く行って最後に帰る、とかね。今の働き方改革からするとかなり前時代的に聞こえるかもしれないけど、その当時はそれくらいの気合いが大切だと思っていました

 当時最も慕っていた上司の先生(当時川崎市立病院にいらっしゃった戸山名誉教授)から、「年に2回は必ず学会発表しろよ、それから年に1回は日本語でいいから論文書けよ」と言われて、それがすごく良い目標になったと思います。それがとっかかりになって、日本語論文が英語になり本数も増えていきました。さらに、「なぜ論文を書くかわかるか?論文を書くのは業績のためなんかじゃないんだ。そんな思いで書くならくそくらえだ。自分が患者さんに行っていることが本当に正しいかどうかは検証しなきゃわからないだろ。教科書が本当かわからないだろ。だったら自分でやった症例をまとめて、ここは成績が良かったとか、ここがだめだったからもっと変えるべきだとかがわかれば、もっと患者さんにとって良い医療ができるだろ!」って言われて、心に響いたね!すごく良い言葉だったなあって思って。そういう積み重ねかな。日々目標を積み重ねて行ってそれを途中でやめず継続することがすごく力になるから大事だと思います。